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「ネガティブワード」の恐怖

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 先日、ランチに入ったお店での話です。お隣の席に座っていたのは、モデルさんかしら、と思うほど綺麗な女の子とイマドキなイケメン君。絵になるカップルだな~と、ついつい目がいってしまいます。すると、二人の会話が聞こえてきました。

 どうやら、彼女が何かの試験に落ちたみたいです。そこで出てくるのが「~していたら」という言葉。このような言葉を使うことは誰だってあります。ただ、彼女の話は終始「たられば」で、慰めてあげている彼がかわいそうになってきました。
 腹を立てることもなく、ニコニコと話を聞いてあげている彼の姿を見る限り、きっと普段は本当に可愛くて素敵な女の子なんだと思います。

 この女の子のように、「たられば」が口ぐせになっている人は、意外と多いのではないでしょうか。 
 人間行動学博士のデニス・ウェイトリーは、こうした人に対して次のように言及しました。

逃したチャンスと未来の夢の世界

 「ただ~でさえあればいいのだけれど」や「そのうちに、きっと」というセルフトークの習慣は、人々が落ち込む最も一般的な二つの落とし穴ですが、この中に隠れるのはあまりにも気楽すぎます。

 次のように言う人がいました。
 「もっと若ければよかったのに」
 「結婚さえしていればよかったのに」
 「離婚さえしていればよかったのに」
 「病気でさえなければよかったのに」
 「もっと早く投資しておけばよかったのに」
 どれも聞き慣れた言葉ではありませんか?

 しかし、“もし~だったら”式の考え方は、合理的な説明の行き止まりです。
 “逃したチャンスの過去”に生きることはよいことではなく、そのうちに、きっと、という“未来の夢の世界”に生きるのと同じくらい役に立ちません。
 「いつかきっと金持ちになる」
 「いつかきっと学校に戻る」
 「いつかきっと落ち着いた生活をする」
 このような言葉も、やはり日常的によく耳にします。

 “いつかきっと”というのは、誰も実現を望んでいないような人たちの住む、そしてどんな成功も永久に1日延ばしの状態になっている幻の島のことです。
 私たちは、“将来の決定”という言い方をすることがあります。しかし、そんなものはありません。実際にあるのは、将来起きることを決定する“現在の決定”だけなのです。
 申し分のない瞬間を持つことによって、安全を求める人たちは、同じ場所で足踏みをし、行動するふりだけをして、自分の習慣の中に深く深く入り込んでいっているのです。

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